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田舎で働く社長のブログ---都会に移転しました---

会社を作ってみました。会社や個人をPRする気は全くなく、ただ自分の思ったことのアウトプットの場としてブログしてるっす。

遅ればせながらTwitterはじめましたhttps://twitter.com/moto_inaka

上杉鷹山の改革はロジカルだけどエモーショナル。とにかくHARD THINGSなので一度読んで欲しい。。。

上杉鷹山

なんとなく名前は知っていると思うのですが、意外とその功績を説明できる人は少ないです。

 

"為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり"

というスーパー教訓を残してくれたことでも知られています。

 

簡単に言うと、

"滅亡の危機にあった名門・上杉家の大名になり、改革を成し遂げた人"

です。

すごいんですけどアバウトなんですよね。それなら織田信長ぶっ殺した人、とか桜田門外の変でぶっ殺された人の方が覚えやすいしわかりやすいです。

 

しかもこの改革も相当地味です。でも本当にすごい人です。

 

ケネディ大統領に日本人記者が「尊敬する日本人はいますか?」と尋ねたところ「ウエスギヨウザンデース」と答えたとか。

 

この本が非常にわかりやすくて面白いです。 

小説 上杉鷹山〈上〉 (人物文庫)

小説 上杉鷹山〈上〉 (人物文庫)

 

 

鷹山が成し遂げた改革は非常に地味です。例えば楽市楽座のようなことをしたわけでもないです。

 

倹約をし、産業を奨励し、学校を作った。

 

本当にそんな感じ。

 

まず、上杉鷹山(鷹山は号なので、当時は上杉治憲)の出自ですが、日向高鍋藩という3万石程度の小さい藩に生まれました。

米沢藩の大名だった上杉重定に男子が生まれなかったため娘の幸姫と結婚することで米沢藩を継ぎます。

米沢藩は戦国時代からの名門・上杉家です。15万国の有力大名でした。しかし当時の米沢藩は借金が多すぎたため幕府への領土返上を勧められる程でした。

 

倒産寸前の大企業、今でいえば東芝やシャープといったところでしょうか。

上杉鷹山その米沢藩を継いだのはなんと17歳の頃でした。

 

大企業の社長に新卒が就任するようなものです。当時、17歳の藩主は珍しくはないですが他の藩から引き継いだというケースでは中々珍しいです。

 

鷹山の思想の一番すごいところは、なんといっても「武士、藩は領民(国民)のために存在する」と言ったところです。当時の武士は、簡単に言えば何もしない人たちで、学問にしても「この文章の、ここは"の"にすべきか"が"にすべきか」等を話し合うのみでした。

 

鷹山は領民こそ国の宝で、彼らのために政治は行うべきとします(師の細井平洲の教えだけど。)。

 

家督を譲る際に、伝国の辞という心得を送ります。

 

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候

一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候

一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候

 要するに、藩は藩主のものではなく先祖から与えられたもの、領民は藩のものであり藩主のものではない、国・領民のために藩主は存在するので、決して藩主のために領民が行動するのではない、としたものでした。

 

今でこそある程度理解できますが、当時そのような発想をする人はまずいません。明治維新後にようやく出来上がる政治を持ち出していました。

 

鷹山は藩主に就任後早速厳しい改革に取り掛かります。その際に、まずは自身から倹約を始めます。

 

・生活費を7分の1に減らす。

・食事は一汁一菜にし、衣類も絹ではなく木綿。

・奥女中も50人から9人に減らす。

(鷹山の正室の幸姫は障害者であったので9人は結構厳しい・・・)

 

当然藩の武士や領民たちも倹約を実行していきます。当然批判もありました。

 

次に産業振興、農地の開拓を行います。例えば武士の屋敷に作物や加工品の材料になりそうなものを植えます。それだけでも生産量は増えますし、武士の妻たちにはそれをさらに加工させ、商品にし、他藩に販売したりもしていました。

これには、武士やその家族に商売をさせるのか、等と倹約以上に反対者が多かったようです。

 

これまでの改革は非常にロジカルで、支出を減らし、収入を増やしました。

経営者なら当たり前のことかもしれません。ですが、腐りきった大企業です。なので当然それらの改革に反対する勢力も出てきます。鷹山が今回の改革の際に重用した人間への嫉妬心から妨害する人たちも出てきます。

 

鷹山の政策と人柄に対して、領民や下級武士といった身分の低い人たちから少しずつ賛同が集まります。そこから徐々に身分の高い人たちも賛同してくれるようになります。実際には何人か切腹することになりますが改革は進みます。

 

改革が進む中で改革の主導者的存在であった竹俣当綱が堕落し、賄賂や接待を要求していたことが発覚し、失意の中で鷹山は、隠居及び押込を命じます。

その後に待ち受けているのはなんと近世で一番の飢饉と言われる天明の大飢饉です。周辺の藩では大量の餓死者を出す中、米沢藩は鷹山の改革のおかげでほとんど餓死者が出なかったと言われています(実際にはある程度出たという説も)。

 

 主導者の竹俣当綱失脚後に鷹山は家督を譲ります。しかし、若い藩主には無理だったようで、再び竹俣当綱とともに改革を実行していた莅戸善政を主導者に抜擢し再度改革を進めました。

 

とにかくドラマチックでHARD THINGSな人生だと感じます。

倒産寸前の大企業に外資コンサルからMBAホルダーが送り込まれ、周りの反対を受けながらも改革を成功させていく。そんな池井戸潤っぽい小説です。

 

鷹山は単純に性善説に乗っ取り政治を行った非常に"良い人"でした。それをよく表すエピソードがあります。小説とWikipediaで内容が少し違うのでWikiから引用しました。

ある日、干した稲束の取り入れ作業中に夕立が降りそうで、手が足りず困っていたが、通りかかった武士2人が手伝ってくれた。取り入れの手伝いには、お礼として刈り上げ餅(新米でついた餅)を配るのが慣例であった。そこで、餅を持ってお礼に伺いたいと武士達に言ったところ、殿様お屋敷(米沢城)の北門に(門番に話を通しておくから)というのである。お礼の福田餅(丸鏡餅ときな粉餅の両説あり)を33個持って伺ってみると、通された先にいたのは藩主治憲であった。

お侍どころかお殿様であったので腰が抜けるばかりにたまげ果てた上に、(その勤勉さを褒められ)褒美に銀5枚まで授けられた。その御恩を忘れず記念とするために、家族や孫たちに特製の足袋を贈ることにしたのである。

 

小説でもこのような鷹山の人柄を表すエピソードがたくさん出てきます。要するに社長ってのは社員のことを本気で信じて誠意を尽くせばうまく回るのかなーと。そんな感想を持ちました。

 

 

大河ドラマというかTBSで日曜9時からやって欲しいと思う内容です。

 

 

 

では。