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田舎で働く社長のブログ---都会に移転しました---

会社を作ってみました。会社や個人をPRする気は全くなく、ただ自分の思ったことのアウトプットの場としてブログしてるっす。

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『お金の流れで見る戦国時代』って本が面白すぎたよ。信長のような政治家が日本に欲しいね・・・。

 

 

こんな本を読んでます。

歴史とお金が大好きな僕からするとこんな面白い本はないです。

 

すごく簡単にまとめると

『戦国時代もビジネス感覚って大事だよ』ってことです。

 

権力だの武力だのってのも結局のところ経済力で、その経済力を強めるには経済のセンスが大事なんだというお話でした。

 

僕は本当に歴史が好きで戦国時代も好きなので、織田信長は経済センスがあったことはわかっているつもりだったのですが、この本を読むとそれが非常に具体的にわかります。

 

いくつか面白いエピソードがありましたが、一番面白かったのは織田信長は経済センスがあったから大きくなったけど武田信玄は経済オンチだったから滅亡したというお話でした。

 

この2者の対比をたくさんの事例を踏まえながら解説してくれているのですが、一部だけ紹介させてください。

 

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他にも鉄砲のことだったりいろいろ大きな違いはあるのですが、とりあえずこの4点が印象に残りました。

 

①出身地域

まず出身地域ですが信長の生まれた清州は東日本と西日本を結ぶ地域なので経済が盛んでした。一方信玄が生まれた甲斐は、雪国ですので経済交流もなければお米もあまりとれませんでした。

そのため、経済への考え方が違いました。

簡単に言うと信長は、自由主義。信玄は統制主義です。

 

 

②税金

信長は税金を安くすることで民の負担を軽くすれば、人も集まり税金も増えると考えます。今のシンガポールみたいですね。

信玄は、稼ぎが少ない地域でしたので税金を増やして国の(中枢の)力を大きくしようと考えました。

 

ぱっと見、信長が正しいだろと思いますが、日本の法人税の高さを見ると日本も武田信玄的考え方をしてしまっているのでしょうね・・・。

 

 

③関所

当時、税金はあらゆるところにかけられていました。関所もその一つです。

信長が支配する地域は、関所を廃止していきます。そうなると、地域間での取引がしやすくなり、経済が活性化します。EU的発想ですね。

信玄の発想は逆です。

関所=税金が徴収できる場所!ということで関所を作りまくったそうです。これでは経済発展はしないですよね。

 

 

④神社仏閣

神社仏閣に付いての考察も面白かったです。

信長は比叡山延暦寺の焼き討ちで知られるように、神仏を基本的に信じていないです。一向一揆なんかもボロクソに鎮圧しています。

非常に合理的です。神仏を信じないことが合理的なのではなく、神社仏閣というのは何百年もずーっと既得権益で優遇され続けていたのでぶっ壊したら金儲かるやん、という発想が合理的です。

文楽協会への補助金を打ち切った橋下徹さんや、今いろいろメス入れしてる最中の小池百合子さんっぽいですよね(信長は殺しまくりなので橋下さんの方がかなり優しいけど)。

 

一方、信玄は実の父親を排斥して当主の座に付いていたこともあってか、いろいろな神社仏閣に寄進をしまくります。農民には圧政を敷き、神社仏閣へは媚びを売っていたと。

 

⑤質の悪い通貨

信長と信玄のビジネスセンスの差が一番現れているのは質の悪い銅銭についての考え方だと思いました。

当時、銅銭(お金)は中国から輸入していました(いわゆる明銭です)。しかし明朝が衰え始め、明銭の輸入が難しくなると貨幣が流通しなくなり貨幣の価値があがります。いわゆるデフレです。

当時、一部の税金はこの銅銭で集めていました。

信玄は質の悪い銅銭での納税は一切認めませんでした。一方信長は、質の悪い銅銭でも状態に応じてランク分けをした上で納税を認めました。

 

こうなると、信玄の支配する地域では、ますます銅銭が少なくなりデフレが進みますが、信長の支配する地域では状態の悪い銅銭でもある程度の価値があるものになるため、デフレを少しだけですが弱めることができますし、何より民が喜びます。

 

こういった事例を見ると、民の忠誠心はどう見ても信長側の方が強いですよね。だからこそ信長は戦で地域を奪い取ると、すぐに他の地域に攻め入ることができたのだと書かれています。

 

 

非常に面白い考察でした。

 

 

もう一つ面白い考察もありました。

信長を一躍ニューヒーローへと躍進させた桶狭間の戦いですが、当時(1560年)、信長の国力は今川義元とそこまで大差のないものだったのではないかと書かれています。

 

当時の支配地域では圧倒的に今川義元でしたが、石高で見るとそれほど大きな差はなかったはずだったそうです。なので信長が今川義元を討ったというのもそれほど意外なことではなかったのかも知れません。

wikipediaによると、今川軍は数万、一方信長軍は数千と書かれています。

 

武田信玄は当時、『信長が十倍もの的倒したとか調子に乗ってるけど実際そんな差はねーだろうが、大げさに言ってんじゃねーよガキがぁぁぁぁ』と言ってたそうです。

 

今の僕らからしても大げさに言った方が名が売れるもんな・・・って思うわけで、そういうセンスがなかったんでしょうね信玄は・・・。

 

信長のようなビジネスセンスと実行力がある政治家に総理大臣になって欲しい・・・。橋下さんかな・・・。

 

 

 

では。