田舎で働く社長のブログ---都会に移転しました---

会社を2015年に作りました。会社や個人をPRするというよりはアウトプットの場にしたいです。

歴史上の人物の話をしたいので今回は赤穂浪士の話をさせて下さい。

僕は歴史が好きです。日本史も世界史も。

インプットはたくさんできるのですが意外とアウトプットをする機会がないです。

 

最近いろいろな時事ネタを見て思ったことがいくつかあるのでとりあえず赤穂浪士のことを書かせてください。

 

・世論ってのは昔から結構めんどくさいものだったんだぜ。

 

ベッキーが不倫したとかしてないとか。甘利大臣が辞めるとか辞めないとか。世論ってのはなんでこうもうるさくなったのか。テレビのせいなのか?いや、ネットのせいなのか?

と思いがちですが、世論がうるさいのは紀元前から。そういう例はたくさんあります。例えば忠臣蔵赤穂浪士

吉良上野介に嫌味を言われたことに腹を立て江戸城内で斬り付けてしまった浅野内匠頭切腹。その仇討ちを大石内蔵助以下47人が行った事件。

 

美談として語られることが多いこの仇討ちですが、大石内蔵助達は仇討ちに対してそこまで乗り気ではなかったというのが今の歴史家での一般論です(のはず)。

いくら陰湿ないじめを受けていた(これも創作の可能性あり)とは言え江戸城の儀式の最中に刀を抜いた斬りかかるというのは普通に考えれば浅野内匠頭が悪い。切腹でなく打ち首であってもおかしくなかったはずです。なので大石内蔵助たちは浅野内匠頭がいなくなったあとの赤穂藩をどう守るか、を第一に考えていたはずでした。

 

にも係わらず世論(特に江戸っ子)がそうはさせませんでした。

当時の法では、どんなことがあっても喧嘩両成敗。そうなると吉良上野介はなんのお咎めもないというのはおかしい!というのが江戸っ子の世論。

 

本来、そこまで過激なことを考えていなかった(であろう)大石内蔵助たちは世論に動かされる形で討ち入りに向かいます。歴史小説家の童門冬二さんによれば、堀部安兵衛などはここで仇討ちを果たすことによって次の転職に有利になると考えていた可能性もあるとおっしゃっています(正しいかはわかりませんがそう考えてもおかしくないですよね)。

 

で、なんとか無事討ち入りを果たします。が、ここでもまた世論が動き赤穂浪士の運命を動かします。

赤穂浪士たちへの処分は大きく分けて3通り

①無罪(当時、仇討ちは本来は褒められる行為)

切腹

③打ち首

となります。

江戸っ子は当然無罪を推します。

ただ、幕府としては一度下した判決に対して歯向かってきたわけですから仇討ちとは認めにくく打ち首にしようとします。しかしそうすうと江戸っ子がうるさいので迷います。

そこで荻生徂徠が以下の様に進言し、切腹にきまります。

もう一つの話『柳沢家秘蔵実記』に載っている話で、この史料によれば、老中等が赤穂浪士の討ち入りは「夜盗の輩」同然だから「打ち首」にすべきだと一旦は決定したのだという[228]。しかしこの決定に不満を持った側用人柳沢吉保が家来の荻生徂徠に相談したところ、徂徠は「赤穂浪士の行為は、将軍綱吉が政務の第一に挙げている忠孝の道にかなったものだから、打ち首という盗賊同様の処分に処すべきではない。彼らに切腹を賜れば赤穂浪士の宿意も立ち、世上の示しにもなる」という趣旨の事を述べた[228]。この意見を将軍綱吉に「上聞」したところ綱吉は大いに喜び、一転して切腹に決まったという[228]

赤穂事件 - Wikipedia

 

この様になんだかんで世論ってのはいつの時代も変わらずうるさいものだったんだなーとベッキー事件を見て思うわけです。

 

この後、忠臣蔵浄瑠璃や歌舞伎となってヒーローになるなんてことは赤穂浪士も考えていなかったのでしょうね。

 

では。